川崎の文化財

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「文化財って何?」そう聞かれてちゃんと答えることができる人は殆どいないのでは?

確かに一部の学者や見識者ならばちゃんと答えてくれそうですが、一般の人は「昔からある貴重な・・・」と途中で口ごもってしまう方が大半でしょう。

おそらく何となく理解はしているのですが、「文化財」という本来の意味をちゃんと理解している人は少ないのではないでしょうか。

しかし、現在「文化財」として指定されているものはどれも、私たち今の時代に生きる者が次世代の日本人に継承していかなければならない貴重なものであるということに間違いはありません。

その重大な責任を果たす上でも「文化財」の意味をちゃんと理解することは大事なことなのです。

それではちゃんと理解してもらうためにも「文化財」についてわかりやすく説明していきたいと思います。

文化財とは

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「文化財」という言葉は1950年に文化財保護法が制定されてから使われるようになった言葉です。

そしてこの法律の中では「わが国の歴史、文化等の正しい理解のため欠くことのできない」、また「将来の文化の向上発展の基礎をなす」貴重な国民的財産と定義されています。

そしてその文化保護法において文化財は以下の6つに分類されています。

  • 1.有形文化財 
    人類の文化的活動によって生み出された有形の文化的所産
  • 2.無形文化財 
    人類の文化的活動によって生み出された無形の文化的所産
  • 3.民俗文化財 
    民俗資料において特に資料性が高く、保存措置が必要なもので、有形の民俗文化財と無形の民俗文化財に分けられます。
  • 4.記念物 
    「史跡」「名勝」「天然記念物」などの総称
  • 5.文化的景観 人間と自然との相互作用によって生み出された景観で、自然に人為的作用が影響したものを指します。
  • 6.伝統的建造物群 
    城下町・宿場町・門前町・寺内町・港町・農村・漁村などの伝統を継承し続けた建造物群を指します。

このように文化財には有形だけにとらわれず、無形のものも指定されているので建造物、絵画、彫刻、工芸品、書籍、伝統的技術・技能などありとあらゆるものが存在します。

つまり文化財とは日本の長い歴史の中で誕生し、現在まで守り伝えられてきた貴重な国民的財産というわけです。

皆さんは驚くかもしれませんが、落語家の桂米朝さんや、鬼平犯科帳の主人公としても有名な歌舞伎役者・中村吉右衛門さんなど、人間国宝と称される方々も文化財という事なのです。

指定文化財

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現在日本には多くの文化財が存在しているわけですが、その文化財の中で特に貴重とされるものは国や地方公共団体によって指定されています。

これを指定文化財と呼びます。

おそらく皆さんも国宝とか重要文化財、人間国宝という言葉は耳にしたことがあるのではないでしょうか?

これらは全て国が指定した文化財なのです。

このように国や地方公共団地は、文化財保護法に基づいて文化財と認められるものの内、特に貴重とされるものを指定文化財として登録しています。

その特色としては、国が指定するものは日本の歴史という大きなくくりで選定されているので比較的知名度の高いものが存在しますが、地方公共団体が指定するものは各地域の歴史に密着した選定を行うので、その地域では知られていても全国的には無名なものが多く存在することとなるわけです。

それでは、川崎の寺院には一体どのような文化財があるのか、文化財のある寺院を紹介していきます。

1.天台宗 無量院

創建時期は不明ですが、1562年に恵海法印が中興しました。
この寺院には「浦島太郎」に似た「竜燈観音」という伝説が残っています。

小倉池のほとりに住む老夫婦の老夫が、ある正月に木を伐りに出かけた時に誤って池に落ちてしまいます。
次の日、目を覚ますとそこは立派な御殿で、そこの姫君に盛大な歓迎をされることになります。しかし家のことが気になった老夫が帰ろうとすると、その際に姫君から箱を渡されます。
老夫が急いで家に帰ると、そこでは老夫の7回忌が行われていました。
死んだかと思った老夫が帰ってきたのでみんなは喜び。
たちまち祝宴が始まりました。
そこで老夫が姫君に持たされた箱を開けるとたちまち老夫は死去し、観音と竜のウロコだけが残りました。
悲嘆にくれた老婦は観音を無量院本尊の体内に納めて、ウロコを堂前の常明燈へ納めました。
それ以降本堂の前にある松の木には毎晩あかりが灯ることとなったそうです。

境内にある銘石燈籠は、火袋部に六地蔵を、竿部に三猿を陽刻した庚申塔で、江戸時代の寛文元年に建てられました。
川崎全域には約320基もの庚申塔中が存在するのですが、この庚申塔はその中でも最も古く市重要郷土資料に指定されています。 

神奈川県川崎市幸区小倉2-7-1

2.浄土宗 東明寺

その昔、川崎七福神の大黒天を祀る西明寺に徳川家康が逗留した際に、近くの小庵に住む貞蓮がたまたま給仕をすることになりました。
その時、貞蓮に身分を聞いた家康がその庵に「東明寺」という寺名を与え、貞蓮が1613年に開山しました。
この寺院の見どころは何といっても、平成8年に川崎市重要歴史記念物に指定された「紙本着色閻魔府之図」です。
一般的に見て近世の仏画は類型化が進んだことによって芸術的生命力に乏しく、高い評価を与えられるものが少ないのですが、近年は地獄絵が見直されることとなり、稚拙ながらも評価すべきものが多く存在すると評価され始めました。
「紙本着色閻魔府之図」もその一例です。
図案は上部に閻魔王、人頭杖、浄玻璃の鏡、眷属などが配されています。
正面を向いた閻魔像は怒っているのですが、明るい表情で、今にも動きそうな手の描写が特徴的です。
また中央には、罪人の舌を抜いたり、釜で煮るなどの地獄絵特有の修羅道が描かれています。
そして下部には左端に血の池地獄、川を境に右端に賽の河原が配され、女人地獄と子どもの堕ちる地獄を対称的に配しています。
このように従来の地獄絵のパターンにはまらない斬新な構図が、新しい地獄絵として注目が集まっています。

神奈川県川崎市幸区塚越2-118

3.真宗大谷派 稱名寺

創建時期は不明ですが、僧・円山が真言宗寺院として創建し、後に、浄土真宗へ改宗されました。
この寺院は赤穂浪士と縁があることでも有名で、吉良上野助邸へ討ち入りを果たす前にこの辺りに逗留したことが記録に残っており、赤穂浪士にまつわる遺品を所蔵しています。この寺院の見どころは、川崎大師平間寺の弘法大師像で、かつて真言宗寺院だった頃に所蔵していたものです。
所蔵する文化財は、これまた赤穂浪士を描いた掛け軸「紙本着色四十七士像」で川崎市重要文化財に指定されています。
大石内蔵助を頂点に赤穂浪士四十七士が左右に配されています。
戦国武将列影図を模範したものではありますが、実に質の高い作品として評価されています。
毎年討ち入りの日である12月14日には赤穂浪士の遺品が公開されますので、この日は多くの参拝者が訪れます。

神奈川県川崎市幸区下平間183

4.真宗大谷派 長弘寺

創建時期は不明ですが、僧・寳心が鎌倉郡小菅ヶ谷村に開山し、1621年にここへ移転したと言われています。
ここの本堂は川崎市文化財に指定されており、真宗特有の作りの建築物となっています。この建物の造りは、入り口から板の間→外陣→内陣→左右余間→仏壇と続き、進むにつれて一段ずつ床を高くしています。
つまり家屋内に奥行きと上昇感を与えているのです。
また、天井や組物には部屋の格に合わせていろいろな変化を付けており、装飾性豊かな華やいだ室内造りがとなっています。

神奈川県川崎市幸区小向20-1

5.天台宗 明長寺

創建時期は不明ですが、静圓法印が1469-1487)に創建したと言われており、現在の本堂は1765年、あるいは1782年に再建されたものとされています。
この寺院には2つの文化財が所蔵されています。
1つは桃山時代に流行した絞り染めの技法を使った小袖「葵梶葉文染分辻ヶ花染小袖」で、国の重要文化財に指定されています。
この小袖は武将・荻田主馬長繁が徳川家康から拝領したものです。
家康が使用していたとされる辻が花染小袖が衣服の形で残されているのはわずかということもあり、希少価値であるとともに、桃山時代の染色技術を知る上でも貴重な文化財と言えます。
また、もう1つの「地蔵菩薩及び十王図」の地獄絵図は江戸中期の作品とされ、川崎市重要歴史記念物に指定されています。

神奈川県川崎市川崎区大師本町10-22

6.真言宗 円能院

948年開創の長い歴史と伝統を持つ名刹で、東海三十三観音霊場6番、玉川八十八ヶ所霊場6番、東国八十八ヵ所霊場5番と、3つの霊場にも数えられています。
文化財としての指定はありませんが、境内には、川崎最古の地蔵尊石造や川崎郷土研究会より指定された賢海禅師地蔵尊、東海道三十三次観音霊場第6番目札所の聖観世音菩薩がお祀りされています。

神奈川県川崎市川崎区小田1-25-12

7.浄土宗 泉沢寺

当時の戦国時代の豪族・吉良氏の菩提所として、1491年に現在の世田谷区に創建されました。
その後焼失しましたが、1550年に吉良頼康が現在の地へ移転して再興しました。
寺院が置かれた地は戦国時代から近世前期にかけて、江戸と相模方面を結ぶ幹線として政治・交通上の要地とされていました。
そのこともあり江戸時代に入ると、幕府から朱印20石が与えられて隆盛を誇りました。1778年に再建された入母屋造(いりもやづくり)の本堂は市重要歴史記念物に指定されており、内陣部分の荘厳な造りが特長です。
また8代将軍吉宗の供養のために造られた木造四天立像(多聞天・広目天・梵天・帝釈天)は市重要歴史記念物に指定されており、京仏師の手で緻密に造られた仏像彫刻として高い芸術性が伺えます。

神奈川県川崎市中原区上小田中7-20-5

8.曹洞宗 全龍寺

創建時期は不明ですが、室町時代後期に開山した逆翁山常泉寺が前身と言われています。小ぶりですがなかなか風流な造りの山門を始めとして、そこへと続く細い参道には枝垂れ梅などの樹木と石仏が並び趣のある雰囲気が漂っています。
ここに安置されている風折烏帽子をかぶり、紋付の直垂(ひたたれ)を着す武士の一石彫りは、旗本小林氏の一人「小林正利」の肖像彫で、全国的に見ても石を素材とした肖像彫り珍しく、市の重要歴史記念物に指定されています。

神奈川県川崎市中原区下小田中5-3-15

9.天台宗 能満寺

行基菩薩によって創建され、当初は影向寺の十二坊の1つとされていましたが、その後この地へ移転され1714年観空によって中興されました。
本堂には2点の文化財が所蔵されています。
1つは本尊である木造虚空蔵菩薩立像で、寄木造りの技法を用いた鎌倉の仏師朝祐の作品で1390年に造られました。
面長に髪を高く結び上げ、装飾的な衣の襞を表現した南北朝時代の仏像の特徴が色濃く出ています。(県指定重要文化財)
もう1つは木造聖観世音菩薩立像で、一木造の技法が用いられ量感ある体躯や、足までかかる衣や、膝から下に見られるU字状の衣文など平安時代の貞観彫刻の特徴が色濃く出ています。
背面の銘文より、もとは長命寺観音堂の本尊であったことが分かっています。(市重要歴史記念物)
そして不動堂に祀られている木造増田孝清坐像も川崎市重要歴史記念物に指定されています。
的確に表現された個性的な表情が特徴的で、胎内の墨書銘と銘札から、自身が65歳のときにつくられた寿像ものだということが分かります。

神奈川県川崎市高津区千年354

10.天台宗 妙法寺

山門前や境内に植栽された樹木や芝生と、落ち着いた佇まいで雰囲気がとても良い寺院です。
境内で出土した板碑は神奈川県下でも2番目に古いもので、江戸時代の検地騒動で犠牲となった村人を追悼した義民地蔵尊が祀られています。
また古物川崎・伊奈両代官感謝塔は川崎市重要有形文化財に指定されており、享保年間(1716年から1735年)に農民保護、営農指導等に 尽力した川崎平右衛門、伊奈半左衛門の両代官への感謝の印として武蔵野新田の人々が造立した宝篋印塔です。
大正12年の関東大震災により倒壊しましたが、昭和26年に再建されました。

神奈川県川崎市高津区久末375

11.真宗大谷派 光明寺

創建時期は不明ですが、当初はこの地よりもっと南にあった天台宗の寺院でした。
その後の1571年に専造坊が浄土真宗へ改宗し、この地へ移転させたと言われています。
光明寺には3点の文化財指定があります。
1つは1672年制作の絹本着色聖徳太子像で、父親である用明天皇の病気の治癒を祈る16歳時の聖徳太子が描かれています。
またもう1つは1672年制作の絹本着色浄土七高祖連座像で、インド・中国・日本の浄土教祖師が描かれています。
そして最後が1705年制作の絹本着色絹本着色親鸞聖人像で、浄土真宗の開祖である親鸞聖人の晩年を描いたものです。

神奈川県川崎市高津区二子1-10-10

12.天台宗  影向寺

奈良時代の740年に、聖武天皇の命により高僧・行基によって開創されたと長い間信じられていましたが、近年の発掘調査により、創建は7世紀末であることが判明しました。
天皇の勅命ということもあり、創建後も朝廷からの多くの恩恵を受けたようで、国の重要文化財である本尊・薬師如来像を始めとし、23躰の仏像彫刻や古文書類、民族資料が数多く所蔵されています。
この寺院には古い縁起があり、光明皇后が眼病を患った時に、聖武天皇の夢に僧が現れて「この地に伽藍を建てて、薬師如来を安置すれば皇后の病気はたちどころに良くなる」といったそうです。
聖武天皇はすぐさま、この地へ行基を遣わして祈願させると、皇后の病気が回復し、その翌年740年に伽藍が建てられたと記されています。
この寺院が健康祈願にご利益があるとされたのも、この縁起が大きく影響してのことでしょう。
また、薬師如来は人々から一切の厄難を除き、息災安穏の世界へと導く仏様で、病の苦しみを取り除くことも目的としています。
特に医療技術の見込めないこの時代では薬師如来にすがる人が多く、広く信仰されることとなりました。
また、川崎市高津区宮前区の遺跡や史跡を巡る、約5kmの「たちばなの散歩道」のコースに入っているので、参加した方々が参詣する姿も見受けられます。

神奈川県川崎市宮前区野川

13.天台宗  妙楽寺

851年、天台宗の開祖・最澄の弟子であり、第3代天台宗座主の円仁によって創建されました。
長尾寺とも威光寺とも呼ばれ、源氏の祈祷所とする長尾山威光寺であったとされています。祀られている薬師如来像は両脇に日光菩薩像と月光菩薩像を配したいわゆる薬師三尊像で、市の重要歴史記念物に指定されています。
薬師如来像は1509年に造られたもので、寄木造りの手法で製作されています。
納衣が両肩を覆い、膝上で結んだ定印の上に薬壺をのせたこのスタイルは、一般的な薬師如来の印相とは異なり、現存する薬師如来像の中でもはるかに数が少ない希少なものとされています。
室町時代頃の宋元風の影響を色濃く受けついだ作品ですが、虫食いや破損が激しく、昭和52年に東京芸術大学の本間紀男助教授によって3体の解体修理が行われました。
この際に日光菩薩像の胎内から墨書銘が発見され、薬師如来像の作成から36年後に残り2体が製作されたことが明らかになりました。
また近年、1000株ものアジサイが植えられたことで、地元では「アジサイ寺」の愛称で親しまれるようになりました。

神奈川県川崎市多摩区長尾3-9-3

14.天台宗 泉福寺

この寺院には、市重要歴史記念物に指定されているの板面着色絵馬・泉福寺薬師会図と、板面着色絵馬泉福寺境内相撲図が所蔵されています。
泉福寺薬師会図は、江戸時代末期の1854年に製作された墨書銘で、泉福寺境内の大銀杏と薬師堂内の薬師如来像、多くの参詣者で賑わっている当時の様子が描かれています。
また、泉福寺境内相撲図は、江戸時代末期の1857年に春川という絵師によって描かれたもので、当時の境内で開催された奉納相撲の様子が描かれています。
神事の際には馬を献納する風習がありますが、この絵馬はその風習に習ったものです。
当初は大絵馬が奉納されていましたが、民間庶民の間で小絵馬が流行り、神社や寺院に祈願しご利益を求める方法として、そしてそのお礼のための簡易法として広く普及しました。
泉福寺の境内には、絵馬に描かれている大銀杏が、現在も残っています。

神奈川県川崎市宮前区馬絹1719

15.天台宗 等覚院

神奈川県川崎市宮前区神木本町1-8-1
詳しくは「川崎で健康祈願」のページをご参照ください。

16.臨済宗 薬師院

神奈川県川崎市高津区新作3-27-16 
詳しくは川崎で稲毛七薬師巡礼のページをご参照ください。

17.真言宗 長福寺

神奈川県川崎市中原区上小田中6-38-3 
詳しくは川崎で玉川八十八カ所巡礼巡礼のページをご参照ください。

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