川崎で著名人ゆかりの寺院巡礼

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神奈川県は鎌倉幕府の設立など歴史上、多くの出来事が起こった場所の為、著名な武将、文化人など多くの人との係わりが多い場所でもあります。

その中でも特に寺院は戦勝祈願や菩提樹など武将との係わりが多く、様々な言い伝えが残っています。

それでは、川崎で著名人とゆかりのある寺院を紹介していくことにしましょう。

1.日蓮宗 了源寺

標高35mの加瀬山の頂上にあり、見晴らしの良い寺院です。
創建は日蓮上人の弟子・日頂が開山した加瀬山妙法寺であると言われています。
創建後しばらくの期間荒廃していましたが、1615年に日啓が開山となり、この地に再興し、了源寺と改名しました。
現在の本堂等は1752年に再建されたもので、安置されている鬼子母神は、1739年に川で拾い上げられたものとの言い伝えがあります。
またこの地は夢見ケ崎とも呼ばれ、その名の由来は、江戸城を築城したことでも有名な室町時代の武将・大田道灌がこの地に陣を敷いて築城を計画した際に、白鷺が兜をくわえて去る夢を見たことから築城をあきらめたという言い伝えから来ています。
また、赤穂浪士が討ち入りの際に武器等の調達をしたと言われる、赤穂義士ゆかりの大地主。軽部五兵衛の墓もあります。

神奈川県川崎市幸区北加瀬1-13-1

2.真言宗 圓能院

創建時期は定かではありませんが、江戸初期には創建されていたとされています。
寛永年間から寛文年間(1624~1673年)にかけて隆盛を誇りました。
観音堂には観世音菩薩が安置されています。
この観世音菩薩は、「源三位」と称された源頼政の持仏(朝夕に帰依礼拝する仏像)です。源頼政は平安時代末期の武将で、平氏が権力を握る中で、平清盛に信頼を勝ち得て清和源氏としては突出した位の従三位に叙せられています。
しかしその後、平氏打倒を切望する源氏の意を無視することができず、以仁王と共に平氏打倒の挙兵をしましたが、宇治平等院の戦いで敗れて自害することになります。

神奈川県川崎市川崎区小田1-25-12
詳しくは「川崎で新四国東国八十八カ所巡礼」のページをご参照ください。

3.真宗 光明寺

この寺院には、明治期に活躍した文人・大貫幸之助の墓があります。
幸之助は妹の岡本かの子(小説家であり、岡本太郎の母)と共に与謝野鉄幹・晶子夫妻の主催する「新詩社」に参加し、東京帝国大学在学中には谷崎潤一郎・和辻哲郎・木村荘太・後藤末雄などと共に活躍しました。
文人として将来を嘱望されていましたが、大学を卒業した1912年急逝しました。
山門をくぐった保存樹の銀杏の木がある墓地に、大貫雪之助の墓はあります。
その墓の奥にある大きな楠は、『まちの樹50選』の1つとしも選ばれています。
また妹の岡本かの子は、小説家、歌人、仏教研究家と多方面に才能を発揮し、漫画家岡本一平と結婚して芸術家岡本太郎を生見ました。
小説家としてのデビューは晩年で有名な代表作はありませんが、生前多くの作品を残しており、死後に多くの遺作が発表されました。

神奈川県川崎市高津区二子1-10-10 
詳しくは「川崎の文化財」のページをご参照ください。

4.浄土宗 泉沢寺

1491年に当時の戦国時代の豪族・吉良氏の菩提所として世田谷区に創建されたのち、焼失しましたものを1550年に吉良頼康がこの地に移転して再興しました。
吉良頼康は蒔田御前とも呼ばれ、北条氏とゆかりのある武将です。
正室は北条氏綱の娘で北条氏に優遇されていました。
本来吉良家は足利将軍家の一族という家格の高い家柄だったため、北条氏に下った後も家臣ではなく食客として扱われ、様々特権を与えられました。
しかし、その勢力拡大を良しとしなかった北条氏により、その勢力は次第に削られていくことになり、頼康の後を継いだ氏朝の代にはその特権も失い一家臣として取り込まれました。

神奈川県川崎市中原区上小田中7-20-5
詳しくは「川崎の文化財」のページをご参照ください。

5.真宗 稱名寺

この寺院は赤穂浪士と縁があることでも有名です。
赤穂浪士が討ち入り前に、この地に逗留したことが記録に残っており、赤穂浪士にまつわる遺品も所蔵しています。
川崎市重要文化財に指定の赤穂浪士を描いた掛け軸「紙本着色四十七士像」は、大石内蔵助を頂点に赤穂浪士四十七士が左右に配されています。
赤穂浪士が討入りを果たした12月14日には、稱名寺でも遺品の一般公開が行われ、多くの参拝者が訪れます。

神奈川県川崎市幸区下平間183 
詳しくは「川崎の文化財」のページをご参照ください。

6.日蓮宗 妙光寺

この寺院には「民間省要(みんかんせいよう)」を著した農政家であり経世家の田中休愚の墓があります。
民間省要とは休愚が四国33ヵ所の巡礼の後、見聞きしたことや意見等をまとめた農政・民政の意見書で、時代劇でもおなじみの大岡越前こと大岡忠相を通じて幕閣に献上されました。
その後も多摩川、六郷用水の普請等や治水工事に関わり、将軍・吉宗にその才を買われ、商農家の出でありながら役人として幕臣に登用されることになります。
しかし残念なことに、その5か月後には突然の死を迎えることとなります。
休愚の墓の周辺には、手代達らによって建立された灯籠と、彼の子で跡を継いで代官となった休蔵が造った休愚の碑文があります。

神奈川県川崎市幸区小向20-1


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