川崎で稲毛七薬師巡礼

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稲毛七薬師は寅年に神奈川尾の川崎、横浜にある7つの寺院を巡礼するものですが、このように寺院を巡礼する風習は日本各地にいくつもあります。

皆さんが知っているものでは四国の八十八カ所巡礼でしょうか?この名称は巡礼に興味が無いという方でも1度は聞いたことがあるのではないでしょうか。

四国八十八カ所巡礼は、四国にある弘法大師ゆかりの札所を巡礼して、参拝した印に札を受けたり、納めたりするのですが、この巡礼という風習は江戸時代の頃に庶民の間で流行したのが始まりと言われています。

代表的なものとしては、西国三十三カ所観音や善光寺参り、熊野詣などがあり、当時の歌舞伎や浄瑠璃の話にも登場し、浮世絵や錦絵等でも描かれるほど庶民の間に浸透していました。

その後、この巡礼は瞬く間に全国に広がり、全国各地に大小さまざまな巡礼地が作られることになります。

どの巡礼も、巡る先のご利益にあやかるのが目的で、長い巡礼になると1000km以上もの距離を移動し、観光バスを使って回ったとしても10日以上の日数を必要とするので、当時の交通手段を考えれば一大行事であったことに間違いないでしょう。

現在は旅行会社などでツアーが組まれることが多く、中高年の人たちが巡礼する姿がよく見られます。

巡礼の手段は変われど日本来の風習としてちゃんと受け継がれているのです。

それでは、神奈川県内で行われる稲毛七薬師について説明していくことにしましょう。

寅年の七薬師

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日本各地に多くの巡礼先が作られたのは江戸時代に入ってからですが、巡礼がご利益をもたらすという考え方は古くから存在しました。

「寅年の七薬師」もその中の1つで、寅年に七カ所の薬師如来を巡礼すればご利益があるという言い伝えが残されています。

この風習は、1014年に京都の広隆寺に薬師如来が安置されたのが、寅年の寅の日だったことに起因しており、その後、時代と共に全国的に広がったと言われています。

阿弥陀如来が死後の世界での救済を目的とする仏様なのに対し、薬師如来は現世での様々な苦しみや厄災からの救済を目的としており、特に健康祈願にご利益がある仏様として崇められていました。

この様な仏様の性質と、聖徳太子所縁の京都最古の寺院の所作に習うことでご利益を受けようと「寅年の七薬師」は民衆に受け入れられるようになったのです。

寅薬師とは?

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干支の寅と薬師像に関連する言い伝えは他にもあります。

それが寅薬師です。

本来、寅薬師と呼ばれるのは、京都にある寺院「西光寺」にある本尊の阿弥陀如来像のことを指します。

この阿弥陀如来像は弘法大師が時の天皇の勅命を受けて製作したものです。

寅薬師の名の由来は、この仏像に関わる縁起の中で述べられています。

「一刀三礼謹刻」という言葉が出てくるのですが、これは一刀彫るたびに三度礼拝し、満身の力を込めて彫り上げたことを意味しており、そうして完成したのが十二支でいう「寅の日」であった為、寅薬師と呼ばれるようになったそうです。

「阿弥陀如来像なのに何で寅薬師?」という疑問がも残るのですが、こうして製作された寅薬師は長い間宮中に奉安され歴代天皇から厚い信仰を受けていました。

そして弘安年間の時代に時の天皇・後宇多天皇からこの尊像は傳慶法印に下賜されます。

その後、傳慶法印は庶民の幸福を祈る場として寅薬師を祀った御倉堂を建立し、庶民の開運厄除、無病息災、及び寅年の守護仏として親しまれるようになりました。

稲毛七薬師が寅年に行われるのも、この寅薬師を造った弘法大師のこの話が少なからず影響しているのです。

稲毛七薬師

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稲毛七薬師は、「寅年の七薬師」が関東に伝わり始まったもので、寅年に神奈川県内にある7つの寺院を巡礼します。

寺院は横浜に4つ、川崎に3つあり、巡礼の規模としては比較的小さなものになります。

稲毛という名の由来は、この7つの寺院がある一帯を江戸時代は武蔵国稲毛荘と呼ばれていたことから来ています。

12年に一度の寅年にご開帳が行われ、普段見ることのできない仏像の尊顔を拝することができます。

前回の開催が平成22年の4月4日~11日でしたので、次回開催はかなり先になってしましますが、現在は寅年のご開帳に関係なく巡礼が行われています。

巡礼先ではお茶やお汁粉がふるまわれることもあり、横浜と川崎の街巡りを楽しみながらゆっくりと巡回するのがおススメです。

各寺院では朱印状が頂けるので、全て集めて薬師如来の有難いご利益の恩恵にあずかりましょう。

それでは川崎にある稲毛七薬師を紹介していきましょう。

1.天台宗 影向寺

ここの本尊・薬師如来像は日光菩薩と月光菩薩を脇待する薬師三尊像で、やさしいお顔が特長です。

十二神将像と共に安置堂に祀られています。

またこれとは別に、境内左にある薬師堂の中にも薬師如来像が安置されているます。

巡礼時にはご利益アップのためにも併せて御祈願ください。

稲毛七薬師2番札所 神奈川県川崎市宮前区野川
詳しくは「川崎の文化財」のページをご参照ください。

2.天台宗 正福寺

ここの本尊は薬師三尊で、現在あるものは昭和に造られたものです。

日光、月光菩薩像は金色で、他に伝教大師像、天台大師像も安置されています。

また山門の左手の馬頭観音堂には馬頭観音像2基と馬頭観音板碑が安置されています。

最澄によって日本に伝えられた「摩訶止観(まかしかん)」では、馬頭観音は六道世界の畜生界救済にあたる菩薩とされています。

時代と共に馬は戦国の世に欠かせなくなると、武士たちの間で馬頭観音への信仰が盛んになり、隆盛を極めることとなります。

しかし、江戸時代に入って戦が無くなると今度は家畜の守護神、旅の道中の安全を守る菩薩として庶民に信仰されるようになりました。

庶民に信仰が浸透したことで、道端や田舎の外れでもに多くの馬頭観音が造られ、庶民信仰として多くの庶民から崇められる仏様となったのです。

稲毛七薬師3番札所 神奈川県川崎市宮前区土橋6丁目2-8

3.臨済宗 薬師院

創建時期は江戸時代中期で、仏智弘済禅師と勅賜された盤珪によって開山されました。

ここにはその盤珪の頂相と呼ばれる肖像画・絹本墨画着色盤珪永琢画像(けんぽんぼくがちゃくしょくばんけいようたくがぞう)が所蔵されており、本図は、縦76.5cm、横35.3cmの軸物で、市の重要歴史記念物に指定されています。

盤珪の個性的な顔貌をがよく描かれており、室町時代の頂相の系統を組む作品として貴重とされています。

そして、本尊の薬師如来像は両脇に日光・月光菩薩を脇侍した薬師三尊像で、日光・月光両菩薩は一般的な蓮華茎上に日輪、月輪を乗せたものでなく、東大寺三月堂に安置された日光・月光菩薩と同じ両手を胸の前で合わせたものです。

また厨子に入った十二神将と四天王の像は見事な出来で、多くの参拝者が感心して拝顔する姿がよく見かけられます。

花の寺院としても有名で、堂内ではお茶やお菓子の接待があるのでゆっくりと参拝することができます。

稲毛七薬師7番札所 神奈川県川崎市高津区新作3-27-1


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